平成12年1月号 凡人が神様になる時
神というものは、考えてみるとやっかいなものだ。神によって多くの人々が幸せに近づいたことも事実だが、過去の多くの争いが神の名の下に生じていることも事実である。
コンスタンチノープルのアヤ・ソフィア聖堂のモザイク壁画の中には、キリストを抱く聖母マリアを中心に、コンスタンチノープルの町を棒げるコンスタンティヌス帝とアヤ・ソフィア聖堂を捧げるユスティニアヌス帝が画かれている。
最近時おり、宗教組織に土地や家を偏し取られたとして訴えるトラブルを聞くが、このように宗教は、元来信ずるもののためには待てるもの一切を差し出して何ら悔いるところがないという激しさを持っている。
今や日本はボケがつくくらい平和に馴れ、多くの既存宗教も初期の牙を失い、根強い外国崇拝思想と相まって、信仰が一種の教養のアクセサリー化し無害で穏やかなものになりつつあるが、本来神を信じるということは、このように激しいものだったことを忘れてはならない。
昔々、多くの平凡な人々にとって神という概念が心に宿るその最初は、極めて単純なものだったろう。
まず途方もなく大きいもの、絶対に到達不可能なもの、人間には到底できそうもないことをしてくれる存在に対して人間が抱いた畏怖の念であったろう。太古においては火や雷が神であり、神は人間が行けそうもない深い海底、高い山や空などに存在するとも思われていたが、科学の進歩で、それらの場所には神様はいないということが判ってきた。
人間として初めて物理的に宇宙空間に飛び出したガガーリンは、有名な「地球は青かった」の言葉の他に、「天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見回してみたが、やっぱり神は見当たらなかった」と言ったという。
ガガーリンのこの科白は、大国同士の国威発揚競争に加え、無神論コミュニズムのアメリカキリスト教文化に対する優越性を誇る挑発的な言辞であり、その後のアメリカの宇宙競争への傾斜に一層の拍車をかける要因となったという(立花隆、『字宙からの帰還』、昭和58(l983)、中央公論社)。
しかしその後、未だに神が廃れず、また、宇宙に飛び出した宇宙飛行士の何人かが、帰還後、信仰本位の生活に入ったことを見ると、実は神は私達の心の中にいるからなのだろう。
私達の多くは神にはなれるはずはないと思っているが、毎日の生活の中で私達のような凡人でも、一時、一昔前の神様のような存在になれる時がある。
帰省ラッシュ時期の高速道路で渋滞と反対方向の車線を走っていると、その先は渋滞しているのを知らずに抜きつ抜かれつしている車を見ることが珍しくない。こんな時、「どうせ間もなく身動きがとれない渋滞に巻き込まれるのに、なぜ些細なことにあくせくしているのだろう」と他人の争いの空しさを眺め、同時に一時他人の運命を正確に予測できる自分を発見する。これは一昔前なら神様にしかできなかったことである。
飛行機に乗るなどは勿論だが、新幹線に乗って高い所を高速で走り続けて行くのも、300年も前なら神様の仕業と言えよう。
織田信長が見たらなんと言っただろうか。天気は西から変わることが多いので、雨の京都を出れば名古屋も間もなく雨になると予測できるが、これも家康の時代なら神の予言となったことだろう。一見平凡な旅行の折々に、自分が一昔前の神様になった気分を味わってみるのも面白いものだ。
バーのホステスなどは、客が不幸でなくても成り立つ立派な職業であるのに反し、私たち医者はある面から見れば、他人の不幸の上に成り立つ職業に従事していると言える。
しかし一方、重症な患者や家族の面から見ると、これに真剣に取り組んでいる医者の存在は、あるときは神の存在に見えるかもしれない。
また、大地震の後、たまたま通りかかったときに梁の下に人が押しつぶされているのを見て、梁を懸命に持ち上げようとしてあげれば、日常はどんなに悪人でも、そのときは、挟まれた人や家族からは神様のように見えるであろう。
多くの人々が平凡な毎日を惰性で過ごしているが、時には、ほんの一時、神様に近い存在になれる時があるのだ。
(この文章は、小・中学生の皆さんには理解しにくい部分があると思います。まわりのおとなの方、質間があったらお手数ですが答えてやってくださいませんか)