区民の皆様への医療情報

平成11年7月号 「一人より二人」を体験して

「一人より二人」を体験して 菊池由夏(19才大学生)

第十七回「心に残る医療」入選作品から

私は最近まで、自分と同じ病を持つ人に出会ったことがなかった。
原因不明の、非常に珍しい病気と聞かされていたため、この先も一生出会うことがないのではないかと思い込んでいた。ランゲルハンス細胞性組織球症(略してLCH)と呼ばれるこの病との付き合いは、もう十九年になる。

私はこのLCHを、生まれたときから、いわば自分の個性の一部として大切に思い、いたわり続けてきた。治療法も不明のこの病を、先天性のものとして患った場合、その後の生存率は驚くほど低いという。
生後数か月で、もういつまでもつか分からないと宣告された私が、今日まで生かされてきたといのは、ある種の奇跡といってもおおげさではないのかもしれない。
にもかかわらず、私は今まで、自分自身の病については驚くはど無知であった。自分自身の体験の中で得た知識しか持っていなかったのだ。
お医者様でさえも分からないことだらけの病だというから、当然といえば当然なのかもしれないが、それにしても何も知らなすぎたのである。

そんな私に、自分の病を知るための機会が訪れた。今年の春のことである。
約一か月おきの診察に訪れた私に、主治医のT先生がおっしやった。「今度、LCHの患者会をつくることになったの。最近転院してきたiさんという方が、中心になってくれているのよ」当初、私はこの話に半信半疑であった。

T先生はこの病に詳しい方だと聞いてはいたが、まさかそんな会を結成できるほど、患者の数があるとは思えなかったからだ。
おそらく全国で唯一の『組織球症友の会』発足に伴い、一回目の会合で、私は生まれて初めて、同じ病を持つ幾人かの仲間と、直接会話を交わすことができた。 T先生は会員を前にして質間を受け、LCHについて分かってきていることなどを、私たちにも理解しやすく説明してくださった。そのお話は私にとって、まさに驚きの連続だった。 希少難病についての、一般向けの本は少ない。素人が専門書を開いてみても、内容をのみ込めるわけがない。

それゆえに、患者が得ることのできる情報は皆無に近い。
だからこそ、病についての詳しい理解のための機会が、『患者に対して』設けられることがどんなに重要であるかを、私は教えられたのである。

それから数か月後。私は、京都にて開催される、LCHの国際会議に出席することになった。アメリカには既に、大規模な患者会があることなどを、私はiさんから教えていただいてはいたが、本当に予想外のことだった。会議には世界中から、実にたくさんの方々が集まっておられた。患者会の代表はもちろん、その道の権威のお医者様方も多く、交わされる言葉は英語の上、話は専門的で、私はほとんど内容を理解できずにいた。

しかし私はそこで、息者側と医療側が、お互いに情報を求め合っているという素晴らしい風景を、眺めることができたように思う。患者会の存在意義はここにもあった。切に望まれる真の『医療』とは、決して一方的なものではなく、診る側と診られる側の双方が影響し合って生まれるものだ、という当たり前の事実を発見した。

iさんはよくこんなことを言われる。

「僕は少し前まで、この病気にかかったのは、この世で自分一人ではないかと心細く感じていたんだ。でもよく間いてみると、みんなそう思っていたみたいなんだよね。そういった意味でも、患者会の必要性を感じたんだ」

恐らく、『自分一人だけ』という思い込みは、病に対する恐怖を倍増させるものであろう。それを思うとき私は、同病の仲間に会う機会もなく、ただ自分たちだけで娘の病に立ち向かってくれた両親の強さに、ただただ圧倒されてしまうと同時に、 仲間があること、そして事実としての情報が多く提供されることのありがたみを、ひどく痛感するのである。

自分の病について詳しく知ることは、患者の『心』の問題にとっても、非常に重要なことだ。
患者数の少ない希少難病だとしたら、なおさら、知識を得るための『場づくり』が求められるだろう。そういう意味でも私は、患者会の存在は、病を持つ当人や、その家族の不安げな心を、確かに支えてくれるものと考えるのだ。 まさに『一人きり』だと思っていた私に、たくさんの仲間を紹介してくださったT先生やiさんに、心からのお札を申し上げたいと思う。

しかし世界には驚くほど多くの病気が存在し、以前の私のような状況にある方も、まだまだたくさんいらっしやることを忘れてはいない。
いつまでも心に残る『優しい医療』の、本当の意味での実現のためにも、私は、同病の人が集い、医療側の先生方も交えて話し合える場所があることの素晴らしさを、伝えていきたいと願っている。

一覧へ戻る

ページトップに戻る

ページトップに戻る